繰り返し。
これ、案外していない。
そう気がついたのは最近。
とったノートは開かれることはない、以前書いたBlogも案外見返さない。
なぜ見ないかというと、理由は2つあげられる。
一つは、忘れるという事実と遭遇したくないためだ。
もう一つは理解できたと錯覚すること。
読書は理解してなおかつ、深くレカグナイズしなければならない。
読書は新聞を読むのとわけが違う。
そもそも文字の歴史は浅い。
人類は文字や印刷を発明し、脳の機能が縮小傾向にあるというが、それは事実かもしれない。
つまり読書は、私たちにおいて弊害がある場合があるかもしれないるのだ。
もともと文字は、概念もしくは物の名前や、動作を記した暗号にすぎない。
たとえば、漢字やひらがなは、象形文字から成り立っている。
特に漢字は一文字で、さまざななニュアンスを表現できる、素晴らし機能を持っている。
読書する際、文章や単語を暗号を解読し初めて、内容を理解することができる。
私は今英語を学んでいる。
厄介なのは、膨大な数の英単語だ。
日本人が英語を学ぶという行為は、幼稚園生が難しい参考書を読むことに等しい。
つまり、文字や熟語の読みや書き方から、学ぶわけだ。
従来の学習法では、能率が上がらないばかりか、労力に見合った成果が上がらないケースも多い。
英語学習は、これでいいという方法はないが、楽しんで学べるのが継続の秘訣のようだ。
現在の>>英語学習は次の通り。
それで、私は英語の単語やフレーズ集を買いこみ、英語に対応する画像を探している。
その画想を、ページごとにコラージュし>>印刷。さらにハサミで切り離す。
暗記カードに英単語>>うら印刷した画像を、ノリで一枚ずつ貼っている。
手間がいる半面、加速度的に記憶が深く刻まれる。
画像は情報量が多い>>目で見てわかりやすいし>>五感をカナリ使う。
ノートに比べカードは、情報を絞り込め、何度も見返すことができる。
それ意外に、聞いて書く>>聞き書き取りと音読も合わせて行う。
まとめると>>聞いて>>書き取りと>>音読>>文字とイメージの貼り付け。
最近はこんなふうにして、精読している。
古くから自分の文字のコード化は、秘密とされてきた。
こういった暗号化やその解読は、ジニアスコードといい、一般の領域では使われていないと思おもう。
これまでの読むを、アクセレラィテッドしていくには、誰もが行わない面倒な方法を取る法が楽しい。
私のま我にはあまりいないが>>たくさんPhotoreadingすると、こういった独特な精読をするケースもあるかもしれない。
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